――どのように大きくパラダイムシフトしたのですか。
小西 システムの自前構築からパッケージの積極採用へ、運用面ではインハウスの形態からインソーシング、さらに地方展開を含めたアウトソーシング併用へとドラスチックに変えました。
会員数の急増に合わせてコールセンターのシステム化に着手した1997年当初は、ロータス(現:IBM)の「Notes」をベースにコールトラッキングシステム(CTS)を自前で構築していました。自前で作ることが他社との差異化になると考えていたのです。ところが、会員数100万人の大台を目前にした99年あたりから、次世代に向けて仕組みを抜本的に変えていくべきという認識が強まりました。トリガーになったのは2001年。「Yahoo! BB」の衝撃的な安値でのADSLサービス提供開始です。これを受けて、当社も既存ISP業者としていち早く新しいADSL接続サービス(アッカ・ネットワークス)を始めました。それまでのISPサービスは、いわゆるナローバンド接続でお客様がいちいち回線に接続していただくのを“待つ”サービスでしたが、ブロードバンドは違います。常時接続でお客様に新しい映像や音楽、コンテンツをお届けするサービスです。当然、CTSの内容もまったく変わります。特に、ブロードバンド利用者が増えるのに伴ない、コールセンターもそれに応じたシステム改革が必要になりました。そこで、2002年早々から「システム再構築プロジェクト」を立ち上げ、パッケージ主体のシステム構築と、大規模センターを効率的に運営するためにインソーシング形態に切り換える取り組みに着手しました。私がプロジェクトリーダーとしてセンター業務に携わったのも、その時です。
――ISP業者がADSL回線のサポートまでカバーする必要があったのですか。
小西 たしかに、一次受付だけ行い、後は回線接続業者に任すやり方もあります。しかし、当社はテクニカルサポートまでカバーし、どうしても判らない案件についてのみエスカレーションするようにしています。お客様にしてみれば、So-netの商品メニューだと思って申し込んでいただいている訳ですから、一貫サポートするのが責務です。
――プロジェクトリーダーとしてまず取り組まれたことは。
小西 実は、私はそれまでCOO付きのスタッフ(エグゼクティブスタッフ)として経営視点でコールセンターを担当していました。会員数が急増するなかでセンターのコスト抑制が課題でした。単純に考えればコストは割と簡単に抑制できます。極端な話、とにかく応えて電話を早く切ってしまえば、処理時間は早くなり応答率はアップします。しかし、コールセンターの本当のミッションは何かを考えると、CS向上です。このためのBPR(ビジネスプロセスリエンジニアリング)をどう推進するかで悩みました。私はもともと証券会社でシステム企画を手がけていました。証券会社などでは還元帳票があり、そこから手を付けるのが一般的なBPRのパターンですが、コールセンターにそれに相当するものはありません。CSという測れそうで測れない指標をどう克服するかが新しい課題になりました。
――そもそもセンターの目的が周知徹底されていなければ、前に進まないのでは。
小西 一番の問題はそこです。そこで、なによりもまずCS向上をセンター目標にはっきりと掲げ、一人ひとりのスタッフがお客様に喜んでいただける活動をすることを第一のミッションにしました。
――CS向上のための具体的な取り組みは。
小西 多くのスタッフをまとめていくためにテレマーケティング会社のリソースを上手く使うインソーシング型に切り換えることにし、品質管理は当社で徹底化を図ることにしました。具体的には、ナレッジを集中的に管理するセクションを作り、ともすればバラバラになる応対スクリプトなどのマニュアル化を進めました。その結果、8000通り以上のトークスクリプト、約2000パターンのメール定型文を作り直すなど、お客様対応のために必要なノウハウなどを再編し、これを元に教育・研修を進めるなどして共有化を図りました。
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